音楽のこだます谷で 最終回
虹の彼方へ

  僕は3年振りにティオリンダを訪ねることにしました。あの時彼女の家は、教会の広場から細い脇道を少し上ったところにありました。僕は見覚えのある石段を昇り、ゆっくりと周囲を見渡しながら坂を上ってゆきました。この前来た時によく食事をした食堂も、まだ同じ所にありました。1泊60円のメチャクチャ寒かった民宿も、まだ健在のようです。前回の反省から、今回は少しランクアップして1泊200円の宿に泊る事にしました。部屋は前回とは比べ物にならないぐらいしっかりしていて、なんと有料とはいえ温水シャワーもありました!それもグァテマラで一般的な電気式(シャワーのノズルの所に電熱器が直に付いている感電しそうな代物)ではなく、プロパンガスの瞬間湯沸かし器が装備されていました。但し、1回のシャワー使用料が100円で宿泊費の半分という高価な物でした。さらに驚いた事に、トイレが水洗になっていました。やはり、村全体が急激なスピードで近代化しているようです。ティオリンダは家の前で子供たちと遊んでいました。3年振りに会った彼女はすっかり母親らしくなっていました。あの時背中に背負われていた赤ん坊はもう4才の腕白坊主、上の女の子はすでに7才になっていました。グァテマラでは結婚が早く、だいたい14~5才で結婚してすぐ子供をつくります。彼女も22才ですが既に二人の子供がいます。子供たちは5~6才になるともう家の仕事を手伝います。この国では子供も一人前の労働力と見ないます。労働が過酷で食料事情もあまり良くない為、平均寿命は50才位のようです。僕は3年前に撮った彼女達の写真や、写真展のパンフレットを見せて旧交を暖めました。そして、すっかり大きくなった子供たちと手をつないで遊ぶティオリンダをもう一度カメラにおさめました。ファインダーの中で二人の子供に囲まれて幸せそうな彼女には、もうあの時の儚げな少女の面影はありませんでした。彼女達と別れた後、僕は前回この村を訪ねた時に撮った写真を持って何件かの家を訪ねてみる事にしました。ティオリンダの写真と同じくらい気に入った写真がもう一枚あったのですが、その写真の家族は残念ながら引っ越していました。何年か後に訪ねると様々な事が有りますが、一番驚いたのは家族が皆殺しになった話でした。それはこの村ではなくてもっと拓けて都会に近い村での事だったのですが、強盗団に襲われたとの事でした。一見のどかで平和そうな村も、様々な問題を抱えているようです。例えばこんな話があります。かつて相次ぐ迫害に耐えかねて自分の家族を守る為に単身ゲリラとなって山に入った父親が、政府との和平合意で内戦が終わり山から戻ってきました。十数年振りに戻ってきた来た父親に、子供達は全く馴染むことが出来ません。父親は幼い頃家族を捨てて出て行ったろくでなしだと、彼等は思っていました。何故ならばもし父親がゲリラとわかれば家族が迫害されるのは目に見えている訳ですから、父親は失踪した事になっていたわけです。十数年振りに突然戻ってきて、職もなくブラブラしている父親に子供たちは辛く当たります。山の中で命と引き換えに戦ってきた父親にとって、守るべきものは何だったのでしょうか。長い戦いの中で、生命以外にも彼等が失ったものはたくさんあります。ついこの間まで村人が総出で補修していた凸凹道路も、大型のブルドーザーやトラックのおかげで見違えるように立派になりました。これまでマヤの村では道路工事等のいわゆる公共事業は、村の人々が自分達の手で平等に行っていました。しかしこれからは、そうもいかなくなるでしょう。立派になった道路をからは、[異文化]という新たな価値観が圧倒的な勢いで流入してきます。その昔スペインがこの地を侵略して以来、マヤの人々は様々な敵と戦ってきましたが、今彼等は異文化という新たな見えない敵と戦っています。僕は文化というのは[保存]するべき物ではないと思っています。文化は生きている物ですから、変わってゆくのは仕方のない事です。虹のように美しい民族衣装がなくなっていっても、それは仕方ない事だと思います。ただその文化を育んだ[心]は大切にして欲しいと思います。長い間かかって培ってきた[心]こそが、新たな文化の礎になるからです。例えば、私達日本人は「もったいない」というコンセプトを持っていました。ところが大量生産・大量消費の文化の襲来に前にあっけなく忘れ去られてしまいました。そして今、リサイクルや資源問題と言ったかたちで認識されつつあるコンセプトは、実は私達が持っていた筈の[心]そのものです。ですから、彼等にも長い間培ってきたマヤ文化の心を大切にして欲しいと思います。マヤの人々は音楽が大好きです。教会の前の広場でバンドの練習をしている彼等を、良く見かけました。僕はマリンバという木琴の音色が大好きで、よく彼等の演奏に耳を傾けていました。このマリンバ、音程をコントロールする鍵盤の下にある筒の部分が変わっています。中身をくりぬいて乾燥させた数十本のウリが、大きさの順に鍵盤の下にぶる下がっているのです。音色は澄んでいて暖かく、心がとけてゆくような優しさがあります。3年前初めてこの村を訪ねた時、谷間にこだましていたのはこのマリンバの響きでした。怒濤の勢いで押し寄せる近代化の波の狭間で、音楽のこだましていた谷間の村は虹の彼方に消えてゆく運命にあるのかもしれません。  
   
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