音楽のこだます谷で 第6回
山間の村で起きた事

  それから3年の歳月が流れ、再びトドス・サントスを訪れたのは1997年の9月の事でした。まず驚いたのは道路がビックリするほど良くなっていたことです。あれほど狭くて凸凹だった山道は見違えるほど広くて平らに整備されていました。次に驚いたのは僅か3年の間に村にコンクリートの建物が沢山出来ていたことです。他の村でも3年経てばそれなりの変化はありますが、この山間の村の変化は急激でした。広場に着いて、又ビックリ。なんと教会の色が変わってしまったのです。ただグァテマラの建物はしょっちゅう塗り直しているので、教会の色が変わってしまうことも無いわけではないのですが、、、。村を見渡すと電線の数もかなり増えています。どうやら世界各国からの援助がこの村を急激に変えているようです。何故援助がこの村に集中しているのかは分かりませんが、援助を受けるにはそれなりの背景があります。そもそもマヤの人達がこんな山奥に住んでいるのは、彼等が山が好きだからではありません。彼等は本来の住みかを逐われて山奥に住んでいるのです。グァテマラと言えば誰でも思い浮かべるのがコーヒーです。そのコーヒー栽培を最初にこの国に持ち込んだのは、ドイツとイギリスで今から約130年程前の事です。時の独裁政権はこのコーヒー栽培の廉価な労働力としてマヤの人達を強制的に使役し、栽培に適した土地に住んでいた彼等を武力によって追放しました。その後この利権に目を付けたアメリカ合衆国は、ユナイテッド・フルーツ社(UFC)を通じてフルーツ・コーヒー栽培等で大きな利権を獲得し、グァテマラ政府に介入するようになります。やがて自分たちの国が食い物にされていると気づいたグァテマラ国民は社会主義的な政府を樹立し、UFCと全面対決することになります。時のアメリカ合衆国大統領アイゼンハワーは、自国の権益と国民の生命を守るという名目で軍事介入し、この政権を倒してしまいます。行き場を失った人々はゲリラとなって山奥に逃れて行きました。それまで無理矢理土地を奪われてもあまり抵抗しなかったマヤの人々は、やがてゲリラと手を結び反政府の武装闘争が展開されるようになります。アメリカ政府は第二のキューバの誕生を恐れ、共産主義の脅威を唱えて軍事介入を繰り返します。1980年代にはグァテマラは事実上内線状態になります。こうした大国のエゴの犠牲になるのはいつも弱い人々です。ベトナムやカンボジアでも、同じような理由で大国のエゴの為に沢山の人々が犠牲になりました。グァテマラがアメリカの呪縛を逃れ自治を取り戻したのは、東西冷戦が終わりを告げる1985年、今から僅か15年前の事です。各国からの援助は主に人道的見地から行われているようです。衛生面から上下水道の整備や、医師の派遣、道路の整備等です。これらの援助は、援助してあげる側から見れば常識的な事なのですが、様々な問題を含んでいます。道路が整備されたお陰で、今までとはくらべものにならない位の物や人が、突然山奥の村に入ってきます。そして入って来た人や物と一緒に、情報や価値観まで入ってきます。それまで長い間自分たちの文化に従って暮らしていた人々の前に、突然異文化が侵入してきた訳です。大多数の村の人々は、ここからバスで3時間離れた大都市のウエウエテナンゴにさえ行ったことがないのです。僕が「日本から来た」というと、「日本までは、歩いてどれくらいかかるか?」と真顔で尋ねる人々なのです。もちろんテレビもラジオも新聞もなかった村では、情報といえば人伝ての話に限られます。今回起きた日本人ツアー客襲撃事件の引き金になったと言われる子供さらいの噂も、人伝てに伝わったに違いありません。子供さらいがこの村で実際にあったかどうかは、僕にはわかりません。ただ貧しい人々が子供を売ったりする事が世界中で今でも沢山起きている現実(ネパールでは年間5000人の子供がインドに売られている)を見ると、子供さらいもただの噂とは言い切れないと思います。さらに子供さらいの目的が、臓器売買だという話もあります。売られた子供がバラバラにされて、臓器として高額で売りさばかれているという話はさらに悲惨です。一人の命を救う目的の筈の臓器移植が、貧しい国の子供の命を奪っているのです。先住民を人間だと思っていない人達がまだ沢山いるグァテマラで、子供をさらって一儲け企む連中がいても不思議ではありません。いままで長い間迫害を受け続けてきたマヤの人々にとって、子供を奪われるという噂は真実味があったに違いありません。日本人ツアー客がきれいなバス(グアテマラのバスはめちゃくちゃきたないのです)に乗ってこの村にやってきたのは、そんな噂の渦巻くさなかだったのです。今まで見たことのない集団を子供さらいと勘違いした人々は、ツアー客に襲いかかりました。この事件はニュースでは「秘境ツアーで山奥に出かけたツアー客が原住民に石で襲われた!」という感じで扱われていました。確かにその通りなのですが、ここまでこのメールを読んで下さった皆さんはかなり違った印象を持たれたと思います。普段私達が何げなく耳にしているニュースも、報道のされ方や受け手の考え方によってかなり違って解釈されると思います。それは、人伝てに広まる噂もテレビから流れるニュースも本質的には同じ危険性を持っていると思います。

 

 
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