らくだ新聞 第5回
サマルカンドヘ


 

翌朝は7時15分の飛行機でサマルカンドへ 向かいました。M君とは縁があったらしく、この飛行機も一緒でした。座席は自由席で早いもの勝ち。飛行機は見たこともない形をしたロシア製のプロペラ機で、燃料を入れているそばからボタボタと地面に落下していてかなり不安です。それでもなんとか無事離陸。ずっと平地のため飛行高度が低く景色が手にとるように見えます。ずっと砂漠かなぁと思っていたのですが、意外と緑が多く灌漑施設がかなり整備されているようです。インフラが整っているのは、社会主義時代の恩恵かもしれません。少し景色が茶色っぽくなってきたなぁ、と思ったらもうサマルカンドの上空にさしかかっていました。そもそもウズベキスタン行きを決めたのは、1枚の小さな写真がきっかけでした。僕がレギュラーで手がけているS社のカタログのアイデアが固まらず、スタジオムイ無料図書館に指定している青山ブックセンターをウロウロしていた時に、たまたま手にとった雑誌の小さな写真に目がくぎずけになりました。テレカよりまだ小さなその写真に出会った時、すぐにここに行こうと決めていました。ずっと迷っていて決まらなかったカタログのイメージもあっという間に、出来上がりました。何故か僕は大きな写真より小さな写真なんかの方が、イメージが湧くんですよね。モロッコの時なんかは、写真ではなくて、イラストマップに描かれた1センチ位の小さな建物の絵に惹かれてそこまで出かけた事もあります。思った通りその建物は素晴らしくて、結局カタログの表紙はそこの写真になりました。今回のウズベキスタン行きを決めた小さな写真に写っていたのは、ここサマルカンドにあるティラカリ・メドレセという17世紀の神学校の天井でした。サマルカンドは、シルクロードの中心都市として長い歴史がありますが、世界に広く知られるようになったのは紀元前4世紀と言われています。[東方の真珠]、[イスラムの宝石]などの呼び名でその美しさを讃えられいますが、現在の街は600年程前にティムールによって造られたものです。最大の見どころはレギスタン広場を囲む3つのメドレセ(神学校)です。メドレセは当時イスラム神学のみならず数学、天文学、哲学等様々な学問の中心でした。お目当てのティラカリ・メドレセは広場の正面の建物の奥にあります。僕はホテルに荷物を預けると、早速レギスタン広場へと向かいました。今回はM君とはホテルが別々なので途中で別れました。「どうせ狭い街だし、又何処かで会うよね。」と言って別れたのですが、、、、。

 
       
     
  BACK NEXT  
TOP   サイトマップ mail facebook

2012 Muy Corporation, All rights reserved.
Page created and maintained by Sugi.