らくだ新聞 第16回
ヒバへ


 

ディラの夢は、外国で暮らす事。ロシアから独立したとはいえ、旧共産圏の人が圏外の外国へ行く事は今だにそう容易な事ではありません。一番の問題は、ビザ です。日本人がウズベキスタンのビザを取る時には、現地の旅行代理店に身元保証人になってもらってビザを発給してもらう形をとります。反対にウズベキ人が 日本に入国するには、日本人の身元保証人が必要になります。この為、外国に行きたいウズベキ人は、なんとか自分で外国人のコネをつくろうと必死になってい ます。英語の話せるウズベキ人の最初の質問は、たいてい日本のビザの取り方についてです。でも僕には日本のビザは必要ないので、取り方なんて知らないです よね。ディラの話しによれば、ウズベキの男の人は封建的で結婚すると一生こきつかわれるのだそうです。それで彼女は外国人と結婚して、外国で暮らしたいと 夢見ているようです。彼女の両親はお医者さんで、ブハラとタシケントに家を3軒持っている裕福な家の育ちです。フィリピンあたりだと経済的な理由で外国人 と結婚したがる女性が多いのですが、ディラの場合は違うようです。何処の国でも[あの山の向こうの幸せ]を夢見るものなのかもしれません。あの山の向こう 側から来た僕が、いくら山の向こう側の現実を説明しても、彼女は目を輝かせて聞き入っているばかりでした。ブハラの滞在も終わり、最後の目的地ヒバに出発 する日がきました。今回は予め旅行会社がチャーターした車が、約束の朝9時にちゃんと迎えにきました。見送りに来てくれたディラは、別れ際にウズベキの音 楽を入れたテープをプレゼントしてくれました。彼女は僕が持っていた宇多田ヒカルが気に入ってしまい、DISTANCEのテープを送って欲しいと頼まれま した。ヒバまでは、まばらに灌木が生えた石ころだらけの砂漠が続き、唯一盛り上がったのは7~80cmぐらいある大きなトカゲが道を横切った時だけ。ひた すら走り続けること5時間、ようやくヒバの市内にさしかかりました。昔懐かしいトローリーバスが走っています。知らない方の為に説明すると、トローリーバ スというのは電気で走るバスです。電車の下半身がバスになってるというか、バスの上半分が電車みたいになってると言うか、、、。架線からパンダグラフを通 じて電気を供給するのは電車と同じですが、タイアで走るのでレールはありません。僕が子供の頃は東京でも走っていましたが、バスと地下鉄にポジションを奪 われ絶滅してしまいました。今でも日本の何処かで、まだ走ってるのかなぁ?しばらくヒバの市街を走った車は、やがて遊園地の入り口のような所で止まりまし た。「えっ、これが、、、?」

 
       
     
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