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いったんウエウエテナンゴに戻った僕は、荷物をまとめ金曜日に再びトドス・サントスを訪れました。前回予約した60円の宿は,薄い板1枚で囲ったダンボール小屋のようなもので広さは3畳位。床もなくただ板敷きの寝床があるだけの、文字どうり夜露をしのげるだけの代物です。それでも一応簡単な鍵が付いているのですが、本当にかたちだけという感じで心配なので、部屋に居ない時には荷物は車に入れておく事にしました。ここトドス・サントスは3500メートルの高地にあるため、昼間こそ半袖でいられる位暑くなるものの夜間はかなり冷え込みます。それもそのはず、3500メートルと言えば殆ど富士山の山頂の高さです。小屋の寝床には一応布団らしきものは用意されていたのですが、これが殆ど板のような毛布というか安物のパンチカーペットの様な代物で全然防寒の役に立ちません。持っているフリースのセーターの上にフリースのジャケットを着て、更にタイツを履いてもまだ寒くて寝られません。あまりの寒さに小屋を出て見ると、隣にあるマヤの人たちの小屋の土間には火が焚かれていました。彼らの家は日干しレンガで出来ていて、強い陽射しからはしっかりと守られ中で火を焚けば保温もよくかなり暖かそうです。「う~ん。マヤの人たちがうらやまし~い!」。60円とは言えお金を払ったお客の方が、寒さに震えているのに、、、。翌日は週に1度の市の日です。僕も夜明け前に起きて(と言うか寒くてあまり寝られなかった)村全体が見渡せる小高い丘の上に登って見ることにしました。村は深い谷間にあるため既に陽は昇っているのですが、まだ暗い影の中に沈んでいます。背後の険しい山から続く細い山道を、沢山の人々がこちらに向かってやってきます。皆大きな荷物を背負っています。彼らは周辺の村々から山道を2~3時間歩いて、市で商売をするためにやってきます。担いでいる荷物の中身は様々で、衣食住の生活必需品が中心です。ただ生活必需品といっても東京とトドス・サントスではかなり内容が違っています。例えばカップ・ラーメンを作ろうと思えば、ここではまず薪が必要です。もしカップ・ラーメンがあってもお湯を沸かすのに薪がいるわけです。更に水道も共同の水汲場しか無いので、水を汲む水瓶も必要になります。卵を買っても電気も冷蔵庫もないので、卵を産む生きた鶏を買います。服ももちろん既製品も売っていますが、毎日身につける大事な民族衣装は女性たちが自分で織ります。この布を織る為の糸が、ここでは生活必需品となります。教会の前の広場や周囲の道は、彼らの持ち込んだ物と人で溢れ返っています。人が集まれば必ず屋台の食べ物屋が並ぶのは何処の国でも同じです。食べ物屋は主に食事系とスナック系にわかれ、食事系は伝統的なマヤ料理の定食が中心で、スナック系はフライドポテトや駄菓子類がかなり豊富です。道端で売られているものは、野菜、果物、花、鶏、薪、器、家具、織物、等など本当に色とりどりです。同じグァテマラでもチチカステナンゴ等の観光地では、観光客目当てのアクセサリー等を売るお店がかなり並ぶのですが、ここでは皆無でした。といっても観光客が全くいないという訳では無いのですが、いわゆる僻地好きのバックパッカー(ドイツ人とフランス人が多い)がちらほらという程度でした。ここまで来る位のツーリストはさすがに百戦錬磨という感じで、殆ど地元の人と同化していて全く目立ちません。たぶんツーリストが自分の身を守る最善の方法は、目立たない事なのだと思います。旅馴れた人は大体そんな身を守る雰囲気を身に付けていて、不思議とその場に溶け込んでいます。 |
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